2011年1月16日日曜日

愛知県医労連50周年記念レセプション

 今日は、雪の中名古屋に出かけた。雪がひどかったのは京都を過ぎてからで、名古屋に着くまでノロノロ運転が続いた。名古屋市内も20センチくらいの積雪があって、モノクロームの世界。レセプションの前に、愛知県革新県政の会の事務所によって、県知事選挙に立候補を決意されたD井先生の激励。些少だが、カンパ2万円を手渡してきた。

 地下鉄『矢場町』でおりて南に歩き、若宮大通りを左折し西に進み、南北に走る大津通りとの交差点(矢場町)を南に渡る。その交差点の南西角に味噌カツでお馴染みの『矢場とん矢場町本店』があるが、その一本路地を挟んだ南隣のゲインビル1階に革新県政の会の事務所がある。かなり広い事務所で、名古屋の革新勢力の底力を見た気がした。岡山だと、こうはならないからなぁ・・・。歩道の雪を事務所のスタッフ4~5人で片付けてい、入り口のところで玄関マットを掃除していた女性の方に「こちらは土井先生の事務所ですよね。」と声をかけると、奥の事務所に向かって「Kさんお客さん!対応して」と声をかけ、「中にどうぞ」と招き入れてくれた。
 K松さんの名刺には、「暮らしと景気の救命医 革新県政の会代表」と、D井先生の宣伝文句が謳われている。僕も、とりあえず仕事の名刺を差し出し、「名古屋に来る用事ができたもので、D井先生がM生協との関係で苦労されているという話を聞いたものですから、たいしたことはできませんが激励に寄らせていただきました」とご挨拶。K松さんからは「緑区の組合員あたりから変化の波が起きている」話を聞き、M生協が、本当に住民の立場にたって医療活動に取り組む、本来の姿に立ち返る日が来ることへの僅かな可能性を見た気がした。

 しばらく選挙情勢など話した後、事務所を辞し、今日の宿である金山ワシントンホテルプラザにチェックイン。荷物をといて小さなバッグ一つで労働会館を目指す。10分ほど歩いて、道を間違えていることに気づき、タクシーを拾って移動する。おかげで少し遅刻した。

 ちょうど、革新県政の会でお会いしたK松さんが愛知県労働組合総連合議長として挨拶をしているところだった。入り口すぐのところに、K生協のY田さん、M生協労組のHさん、M会のN本専務、元愛医労専従だったI葉さんなどの姿が見える。会費をお支払いして、会場に入る。
 Hさんがすぐに気づいてくれて、ご挨拶。Y田さんに「ご無沙汰」と声をかける。「相変わらず精神科でやってます」とのこと。N本専務の肩をたたき、M生協労組のT島君に声をかける。懐かしい顔、昔のことがついこの間のことのように思い出されるのだけれど、そこに登場する若々しい姿と、今、目の前にいる腹が出たり、白髪になったりと変貌を遂げた顔が簡単には一致しない。

 僕が愛知県医労連の執行委員をしていたときの執行委員長M岡さん、書記長のK藤さん、執行委員のK松さん、全医労のN尾(大学の同級生)君、M生協労組のO椋さん、皆年をとったけれど、良い人生を過ごしてきたことがその表情に表れている。昔話に近況報告、大いに飲み、大いに語る。20数年前にタイムスリップしたような気分になり、元気をもらったレセプションだった。

 O椋さんはM生協労組の執行委員長だけれど、N瀬専務に疎まれ、患者送迎の運転手をさせられているとのこと。電気主任技術者の資格を持って、施設課で長く働いてきたO椋さんを新病院に引っ越したのを期に運転手に配置転換したのだという。民主的な経営といわれていたM生協がそこまで地に落ちたか・・・。

 M岡さんの話によると、「N瀬君は、僕と同じある団体に顔を出して、『左翼の病院の経営者をしています』と自己紹介したんだ。何を考えているんだ、こいつはおかしいんじゃないかと思ったね。だって、生協なんだから組合員が病院の持ち主であって、単に、専務理事という職務を任されていることだけだろう。それなのに、『経営者です』だからね。良くわかっていない連中は『へぇー』って顔して聞いていたけれど、僕や、生協のことを良く知っている者はみんな『こいつは駄目だ』って話し合ったんだ。」というようなことがあったらしい。おそらくN瀬の本音なんだと思う。自分が経営しているという思い上がりが、不当労働行為につながり、N瀬独裁政権などと呼ばれる強権的な組織運営に繋がっているのだ。
 全く基盤の無い地域での新病院開設からもうじき1年が経とうとしている。当たり前のように患者結集が進まず、最近の理事会にはキャッシュフロー計算書が出せなくなったようだ。このままいくと、そう遠くない時期に、資金ショートを起こし、倒産の危機に直面することになるのではないかと僕は思っている。その時に、民医連方針に従わないM生協に対して、どこまで支援に入ることができるのか、生協連が支援するのか、いずれにしてもそんなことになったら、労働組合ががんばるしかない。労組を核とした地域の支援組織作りしか再建の道は見えてこないのではないか。労働組合運動が試されることになる。

 そんなことを考えさせられた一日だった。

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